お茶屋では
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 お茶屋って何?
茶屋がどんなところかは書きましたが、実際に行った事のある人はかなり少ない様です。
事実、京都市内に住んで何代目といった人ですら、お茶屋とは無縁、という人が圧倒的に多いのです。
地元に住んでいる人にとっても、お茶屋はブラックボックスですから、外の(京都以外に住んでいる)人には摩訶不思議な魔境に思えるかもしれません。

実は私も外の人間ですから、お茶屋では、日夜、いかがわしい事が繰り広げられているお金持ちの為の社交場と思っていました。
その実態は? と言えば、いかがわしい事はおこなわれていませんでしたが、ある意味、社交場という表現は当てはまっていると思います。
ヨーロッパで言う「クラブ」や「サロン」の様なものでしょうか。そのメンバーである事で、社会的地位や身分が保証される感じです。
私は外の人間ですから、日常でその恩恵を感じる事はありませんが、京都においてそのメンバーである事の信頼は絶大の様です。

クラブやサロンという仕組と異なるのは、誰がそのメンバーであるかという事が、傍からはわからないところです。
クラブ・ジャケットがある訳でなし、メンバーズ・リストが公表されている訳でもありません。
お茶屋の玄関をくぐって、女将から「おかえりやす」と言われて、はじめてわかるのです。


 
 お茶屋選びは難しい
うきのかみ、という言葉を説明しましたが、一つの花街で通えるお茶屋は一件だけですから、どのお茶屋とお付き合いをはじめるかが悩むところです。
とはいえ、実際のところは、紹介者無しでお茶屋へあがる事は不可能ですから、選り取りみどりに選ぶ事ができる人は極めて稀でしょう。

それでは、どんなお茶屋が良いのでしょうか?
馴染みのお茶屋を持っているだけで、それはステータスとなりがちですから、そのお茶屋が大きかったり有名である事に悪い気はしません。
しかし、その様なお茶屋は抱えるお客も多く、足繁く通えない人は馴染みになるまでが大変です。
逆に、小さなお茶屋では、その苦労も少なくて済みますが、いざと言う時に芸・舞妓が集まらないという事も考えられます。
また、お茶屋の後継者問題も深刻で、せっかく大切にしてもらえる様になっても、後継者不在でその女将の代で店を閉められては、それまでの苦労が水の泡と化してしまいます。

とはいえ、これもご縁というものですから、たとえ気に入らないところがあっても、お付き合いがはじまれば全力で応援してあげるのがルールと言うものです。
お茶屋を育てるのは、そこへ通うお客です。お客がしっかりサポートすれば、おのずとお茶屋も大きくなるというものです。


 
 とりあえず連れてってもらいましょ
園に通いたいと願う人は沢山おられる様です。
通える通えないは別として、とりあえず、お茶屋へ連れていってもらわなければ話もはじまりません。
案内する側も、連れていく人間の資質が自分の評価に直結しがちですから、おいそれと首を縦にふってくれないかもしれません。
逆に、連れていってもらえる幸運に恵まれたとしても、案内人は選びたいものです。
これは、ある種の紹介に発展しますから、評判の悪い人に連れていってもらうと、「この人はあの人の紹介だから……」と、その悪評がついてまわる事になりかねません。
また、いい歳をした大人が、二十歳そこそこの若造に案内してもらうのは聞こえの良いものではありませんし、祇園へ通ってまだ日の浅いビギナーに手を引かれるのも考え物です。
最近では、社用で通う様になり、そのまま個人的に信頼を得るケースも多くある様です。

どのケースが良いという訳でも無いのでしょうが、紹介社会ですからしっかりとした後ろ盾があれば、安心な事に変わりはありません。
しかし、その真価が問われるのは、その後ろ盾が無くなった時(紹介者が亡くなったり、会社を辞めた時)です。社用族あがりだと、場合によってはサービス・ダウンが甚だしいかもしれませんね。


 
 ホームバー
茶屋に通いはじめて、いきなりお座敷へあがるのは窮屈なものです。
第一、花街の知識や仕組みを熟知せずに遊んでも、何が面白いのかすらわからないと思います。
まずは、ホームバーに腰掛けて、観察するところからはじめたいものです。

大抵のお茶屋は、お座敷の他に、気軽に飲めるホームバーを持っています。
形式は様々ですが、カウンター席とボックス席で構成されているところがほとんどでしょう。中には掘り炬燵形式のカウンター席というところもある様です。
ホームバーには芸・舞妓を呼ぶ事もできますが、基本的にお喋りするだけで、舞などの鑑賞はできません。勿論、芸・舞妓を呼ばずに酒を舐めるだけでもOKです。

新参者はすすめられる席へ控えめに腰掛けて、女将との会話の中から、少しづつ祇園を学んでいきましょう。質問すれば、大抵の事は教えてくれますし、時間が経つにつれて聞きにくくなる事も多くなりますから、最初が肝心です。
中には答えにはばかる様な内容もあるでしょうから、まわりに悟られない様に、こっそりと聞くのがポイントです。

お茶屋では見栄をはらずに、切実にまわりと接していれば、後になって後悔することもありません。
祇園には信じられないくらいのお金持ちがゴロゴロ転がっています。その環境の中で自分が一番貧乏だと思うくらいが丁度良いのです。


 
 女将の呪文「誰か言いましょか?」
ームバーに腰掛けて一段落つくと、大抵、女将が「誰か言いましょか?」と聞いてきます。
「誰か言いましょか?」とは「誰か芸・舞妓を呼びましょうか?」という意味です。
お客として勉強中であれば、芸・舞妓を前に聞きにくい事もあるでしょうから、遠慮するのも考えですが、女将が忙しそうで相手をしてもらえそうに無い時などは、話し相手に呼んでもらうのも勉強です。
勿論、最初は馴染みの芸・舞妓がいる訳ではありませんから、誰を呼ぶのかは女将にまかせる事になります。
第一、指名したい妓がいたとしても、突然に呼ぶ訳ですから、相手の都合でそれがかなう確率は少なくなります。
祇園には大体で、お茶屋が80軒、芸・舞妓が90人(実働はかなり少ない)ですから、お茶屋に一人でも芸・舞妓がいれば、それは大した事なのです。
そんな厳しい中で、どれぐらいの芸・舞妓を引っ張ってこれるかがお茶屋の力です。

舞妓など、超売れっ子の場合は、ほとんど毎日の様にお座敷がかかっていますから、どうしても呼びたい場合は、あらかじめお花をつけておく(予約をしておく)必要があります。
とはいえ、そこまでしたくない場合は、午後9時以降に呼ぶのがおすすめです。1クール目のお座敷は、大抵、9時までには終わりますから、それ以降の時間帯だと来てもらえる確率が高くなります。
女将もお座敷の時間帯は忙しい訳ですから、お茶屋へ行くには午後9時以降が、断然おすすめです。


 
 千社札
社札(せんじゃふだ)は、芸・舞妓が名刺代わりに配る、名前が入った縦長の小さなシールです。
大きさに決まりは無い様ですが、横が2cm、縦が6cmぐらいです。大抵、「祗をん ○○(名前)」と書いてあり、背景には色、柄が入っています。

芸・舞妓にもよるとは思いますが、とかく千社札を貼りたがる妓が多い様です。
お客のボトルを見つけると、まず、そこに誰の千社札が貼ってあるかのチェックが入ります。なるべく良い位置に貼りたいのが人情ですが、そこは厳しい縦社会の花街ですから、お姐さん達の千社札に遠慮する様に、しかし大胆に貼ります。
とはいえ、ボトルの表面積には限りがありますから、貼りつける面が無くなると、ボトルにかけるネームプレートの紐に短冊の様に貼りはじめ、その短冊の端に他の千社札、そしてまた次といった具合に3次元空間へと増殖をはじめます。

千社札の貼ってあるボトルは見た目に華やかで良いのですが、初めて会った芸・舞妓にも、交友関係がバレバレなのが辛いところです。

ちなみに、舞妓の千社札を財布に貼っておくと「お金が舞い込(舞妓)む」のげんかつぎになります。その他のバリエーションでは、名詞入れや携帯電話など、良い物が舞い込んで欲しいものに貼るとご利益があるかもしれません。


 
 ボトル
茶屋にキープしたボトルは、口ほどに物を言うので注意が必要です。
大抵、芸・舞妓の千社札が貼ってありますが、その名前や古さから、そのお客がどの様な交友関係を歩んできたか、しいては、どういうお客なのかが知れるのです。

同じ名前の千社札が新旧何枚も貼ってあると、「舞妓の頃からずっと今でも贔屓にしてるんだな(一途だな)」とかわかりますし、とある屋形の妓の千社札ばかりですと、「○○(屋形)の妓とよく遊んでるんだな(裏を返せば、呼ぶ妓は女将まかせだな)」となります。
見苦しいのは、屋形や名前に脈絡が見出せない場合で、「おいおい、誰でもOKなの?(浮気性だな)」となってしまいます。
とはいえ、めったに見ない妓が偶然に居合せて、挨拶のついでに貼ってしまう場合もありますし、かと言って「貼るな!」とも言えず、とても難しいところなのです。

芸・舞妓の方も、ボトルに貼られた千社札には常に目を光らせている様で、日夜、水面下で繰り広げられているバトルにビンゴでもし様ものなら目も当てられません。
たとえ、女将のフォローで牽制を切り抜けたとしても、その後が、とてもとても大変らしいです。


 
 ついつい無口になっちゃいます
あるお人が、「祇園で友人に会うと、皆、いつもより人が良い」と言っておられましたが、祇園は何故だかそうさせる雰囲気がある様です。
確かにそうで、いつもは眉間に皺を寄せて下世話な会話しかしない人が、さも上品げに話している姿を見ると、滑稽で噴出してしまいそうです。

とはいえ、祇園の右も左もわからないうちは、何を話していいのかすらわかりません。
特にこの世界には禁句も多くありますから、迂闊に喋って坩堝にハマると後が大変です。
という訳で、差し障りの無い会話に終始しがちで、ついつい無口になってしまいます。
もうこなると、相手側から一方的に喋ってもらう方が気が楽です。
特に、名前ぐらいしか知らない妓は、何処の屋形で誰がお姉さんなのかもわからない場合がほとんどですから、「何処の屋形や?」とか話を振って、最初にゲロさせる事が肝心です。
そうすると次第に相手の事もわかってきますし、次に隣に座った時などに、その妓に合った洒落た会話もできるというものです。

普段は聞き手になる事の多い芸・舞妓ですから、偶には、お客が聞き上手になって、思う存分喋らせてあげるのも喜ばれます。


 
 振り向けばいつも○○
園には芸・舞妓が90人くらいいます。都をどり等のパンフレットには顔写真入りで名前が載っていますから、祇園へ足しげく通えない私などには、落籍(ひい)た妓、見世出しした妓を把握するのに、結構、役立ちます。

しかし、をどりなどで見る事はあっても、馴染みのお茶屋で見る事のない妓が多いのは事実です。
基本的に、どの芸・舞妓でもお茶屋へ呼ぶ事はできるのですが、やはり、そのお茶屋の馴染みの屋形というものがある様で、ついついメンツも偏ってしまいがちになるのが実情です。
ですから、振り向けばいつも○○(芸・舞妓の名前)といった具合に、常にお客の誰かが呼んでいて、しょっちゅう見かける妓がいたりします。
逆に、見ない妓は、いくら祇園をウロウロ徘徊しても見ないから不思議です。

もっとも、そんなり(普段着で化粧を落とした)の芸・舞妓から「おにいさん、おおきに」と声をかけられても、その妓が誰だかわからない事の多い私ですから、只単に私が気づいていないだけの話なのかもしれませんね。

お茶屋と屋形の勢力分布図を作れば面白そうですが、気づいてはいけない事に気づくと後が怖いので止めておく事にします。


 
 お座敷って大変
座敷の標準的なメニューとしては、お茶屋の座敷を借りて、仕出屋から料理を取って、芸・舞妓を2〜3人呼んで、2時間ぐらいというのが普通です。
とはいえ、何が起こるかわからないのがお座敷です。
一旦、お座敷がはじまってしまえば、監督はお茶屋の女将で、仕切りはその場で最年長の芸妓ですから、そのお座敷の主賓を中心に、形態がガンガン変わっていきます。
宴が盛りあがるにつれて酒の量と種類は増えるし、何時の間にか有名店の仕出しが届いたり、芸・舞妓がひっきりなしに出入りして、何が何やらわからない状態でお開きとなるのが普通です。
そんなお座敷の幹事は、気が気でたまったものではありませんね。

私は、料理をたのまないケースのお座敷が好みです。
食事は、あらかじめ他でお安く済ませておいて、芸・舞妓が比較的集まりやすい夜の9時ぐらいからお座敷をはじめます。
遅い時間からスタートすれば、腹具合も酒も適度に進んでおり、更なる追加注文も少なくて済みますし、じっくり芸・舞妓との時間が持てるからです。
舞を沢山舞ってもらうもよし、お喋りするもよし、何だか得した気分で、貧乏人の私にはもってこいです。


 
 んでお会計は?
前、とある雑誌にお茶屋の請求書が掲載されて、ちょっとした騒ぎになった事がありました。
基本的に、値付けにはルールの無い世界で、同じメニューでもお客によっては金額が違う事もありますから、請求書の公開はお茶屋にとっても命取りなのでしょう。

お茶屋への支払いは、その都度の現金清算ではなく、月締めの翌月払いです。
ですから、遊んだ日はツケて帰ります。もっとも宴会は何が何やらわからなく幕を閉じますから、その日にキッチリ金額を算出する事は不可能です。
請求書にしても、明細が細かく記載されている訳では無く、金額にも基準を見出せない場合が多くあったりと、かなりアバウトですから、不明瞭極まりないとも言えます。

そんな請求書ですが、「何でこんなに高いんだ?」と思った事が一度も無いのが不思議です。
むしろ、「あれだけ大騒ぎしたのに、これだけで良いの?」とか「何か付け落としがあるのでは?」と返って不安になる程です。
これは、請求書を受け取る人のほとんどが思っている事ではないでしょうか。
お茶屋の経営基盤がしっかりしていれば、私の様な貧乏人から必要以上のお金を徴収する必要が無いという事ですかね。


 
 
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