祇園とは?
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 花街という不思議な世界
街(かがい)については、その作られたイメージや噂だけの思い込みで語られる事が多い様です。
映画などで取り上げられる昔の頃の暗いイメージや、花街と遊郭を混同した勘違いで、凄まじく不当な扱いを受けているのが実情でしょう。
確かに大昔にはその様な事があったのかもしれません。しかし、ハッキリ断言してその様なマイナスイメージの要因は、今の花街、少なくとも祇園にはありません。

では、何故、世間様のイメージが改まらないのでしょうか?
それは、花街の中の事が、いっさい外には出ないからです。花街には、中の事を決して外には漏らさないという決まりがあります。
勿論、外に漏らされては困る様な行いがされている訳では決してありません。花街が今でもその伝統を守っているだけ、という話なのです。

外から見ると、明確なルールも無く一部の特定の人間だけをお客として認めている怪しいシステムが、花街の謎により一層の拍車をかけています。
花街は一般との接点が無い事と、昔のままの情報とが相俟って、今も噂だけが先行する妖しい男の楽園として語られているのです。


 
 ゴッタ煮の祇園
言に「祇園」といっても、地名としての祇園はかなり広範囲です。
京都市街地の中心を東西に走るメインストリート、四条通の東端に八坂神社があります。その八坂神社の周辺を祇園と呼ぶのだそうです。

祇園といえば歓楽街として有名ですが、地名としての祇園で言うと、八坂神社より西側がそれにあたります。
観光パンフレットの写真などで見る景観保存地区のイメージから、祇園には一見さんお断りの高級なお店しか無い様に思われがちですが、その大半が普通のネオン街と変わらない普通のお店です。
ですから、四条通の北側には近代的なビルが建ち、クラブやスナック、飲食店でひしめいています。
深夜にはタクシーが並び、ネクタイを緩めたサラリーマンが千鳥足で闊歩している、どこにでもあるごく普通の歓楽街です。
南側は比較的落ち着いた建物が並びますが、それでも一見さんOKの飲食店が増えました。
祇園は、そんな雑踏の中、格式を守るお店がぽつりぽつりと点在するゴッタ煮の様な街です。それが、歓楽街としての今の祇園です。

そして、花街としての祇園は、その格式を守る一部のお店の中で、雑踏に知られること無く、ひっそりと受け継がれているのです。


 
 祇園にある2つの花街
都には幾つかの花街があります。上七軒(かみしちけん)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町(みやがわちょう)などです。
祇園の中にも2つの花街があります。「祇園甲部(ぎおんこうぶ)」と「祇園東(ぎおんひがし)」です。
八坂神社より西側の祇園を、東西に走る四条通と、南北に走る花見小路通で4分割すると、北の一画が祇園東、それ以外が祇園甲部となります。
通常、花街の祇園と言えば祇園甲部を指します。

花街の格は、そこへ通う客の質が決めると言っても過言ではありません。
それぞれの花街は、それぞれを支えてきた客層によって、それぞれの風格が形成された様です。
上七軒は西陣が近い為か大店の旦那筋が多く、先斗町は南座の近くにある為か役者筋が多いそうです。
その中でも、規模、格ともに別格なのが祇園です。客筋は、政界、経済界、宗教界、芸能界ともに各界の一流が集う街、それが祇園です。


 
 祇園のハードとソフト
街としての祇園を構成する主なハードウェアは「お茶屋(おちゃや)」「仕出屋(しだしや)」「屋形(やかた)」です。
それぞれのハードの中に「女将」「料理人」「芸・舞妓」というソフトウェアがあります。
これらの説明を簡単にしてみましょう。より詳細な内容は、検索エンジンで幾らでも引っかかりますので、そちらの方を参照してください。

お茶屋はお客をもてなす場所です。お客のリクエストに応じて、場所、お酒、料理、接待する人を準備します。
場所とお酒はお茶屋が用意しますが、料理と接待する人は外部へ委託します。その委託先が仕出屋と屋形です。
仕出屋は料理を作り、タイミングを見計らって一品一品をお茶屋へ届けます。
屋形は置屋とも呼ばれますが、芸妓、舞妓を抱えるプロダクションの様なものです。
お茶屋の女将は宴会の演出家、料理人は小道具係、芸・舞妓はタレントといったところでしょう。

そして、何より祇園で大切なソフトウェアが、そこに通う客です。遊ぶお客無くして、祇園は成り立ちません。


 
 花柳界としての祇園
園とは切っても切れない存在があります。それが、京舞・井上流です。
井上流は、お座敷で舞われる「お座敷舞」です。井上流に限って「踊(おどり)」とは言わず「舞(まい)」と言います。
井上流の先代家元、四世・井上八千代は人間国宝、現家元の五世・井上八千代は40代の若さで芸術院会員となられています。
毎年4月に開催される有名な「都をどり」は井上流の主催ですし、祇園の芸妓、舞妓は、すべて井上流の舞を習います。ですから、お座敷で舞われるのも井上流の舞です。

言い方を変えれば、井上流の舞が、祇園を支えてきたともいえます。
芸・舞妓に限らず、祇園に生きる人にとって、京舞・井上流はとても大切なものなのです。


 
 特別天然記念物「舞妓」
都を連想してこれが出てこない人がいない程、世界的に知られた存在が舞妓でしょう。
今更説明の必要も無い程、メジャーですが、改めて力説するなら、舞妓の仕事は、舞を舞う事です。

舞妓と呼ぶのは京都の花街だけの様ですが、その他の花街では半玉と呼ばれたりします。
簡単に説明すると、芸妓として一人前になる前の修行期間が舞妓です。
大抵の妓は中学を卒業してからすぐに花街へ入りますから、歳の頃だと16〜20歳ぐらいになります。
しかし、巷の同世代の女の子の様に無神経で不躾ではありません。精神年齢は見た目以上にずっと大人で、話しをしても不快になる事はまずありません。
とはいえ、本当の素顔は不安定な少女なのです。それを白粉(おしろい)で隠し、世界的なVIPの前でも物怖じしない気心は、祇園の伝統に躾られた賜物でしょう。

祇園には、ほんの数えるほどしかいない、そんな特別天然記念物の様な貴重な存在、それが舞妓です。


 
 お酒は気持ち良く呑みたいでしょ?
を呑むのなら、楽しく呑みたいと思うものです。
カラオケが無いと面白くない人、女性の体に触れないと不満な人、バカ騒ぎしたい人、楽しみ方にも色々あります。
しかし、自分が楽しみたいが為に、自分以外に迷惑をかけてる人が多いのが実情ですね。
お酒の呑み方にもTPOがあります。それのわからない子供達が我が物顔で他人の領域まで入ってくる酒場には、はやく見切りをつけたいものです。

酒場には酒と気持ち良く酔わせてくれる人だけがいれば、それだけで充分なのです。


 
 だから、祇園へ行っちゃいましょうよ
園は大人の集う場所です。
大人といっても、成人している人という事ではありません。人として精神的に確立されているという意味です。
花街とお客の接点であるお茶屋が客を選ぶのはその為です。

お茶屋というと、何だか堅苦しいイメージがありますが、お客のお茶屋の利用スタイルの変化に伴って、その役目は貸し座敷業からお酒を呑む場所へと変わりつつあります。
おそらく、お茶屋を利用する大半が、芸・舞妓の芸を楽しむのではなく、お酒を呑む為に通っていると言っても良いでしょう。
ですから、お茶屋には気軽にお酒を呑めるホームバーを持つところが多くなりました。
つまり、お茶屋では必ずしも座敷に座って料理を頼んで舞を鑑賞する必要が無い訳です。
ふらりと立ち寄って、ホームバーのカウンターへ腰掛けて、水割りを飲むだけでも充分OKなのです。

クラブやスナックで、お金を払ってまで、我侭なだけのホステスに気を遣っている自分に疑問を抱いたら、思いきって、祇園へ行っちゃいましょうよ。
重い伝統に押し潰されてしまうのかと思いきや、予想に反して居心地良く過ごせる粋(すい)な場所。そんな不思議な空間、それが祇園です。


 
 
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